■ 大学での物理学の授業で、
「つぎはぎの理論」という見方を教わった。
もちろん、ずっとずっと以前のことである。
そのことを教えてくれた先生によると・・・、
「・一般の人は物理学の理論というと、
理路整然と一貫したものであると思っているようだが、
実際にはいろいろな考え方を取り入れて“つぎはぎ”したものであり、
それだからいいのだ。
・理路整然首尾一貫したものであれば、一ヶ所が悪ければ、
それ全体がだめと言うことになってしまう。
しかし、“つぎはぎ”ということであれば、
どこかに具合の悪いところがあればそこを何とかすればいい。」
といったことである。
■ “つぎはぎ”というのはレトリックであり、
自然の秩序と向き合う時の姿勢を、
この言葉で示したのかも知れない。
科学史の本を読むと、
理論の構築は失敗の連続であったことが分かる。
考え出した理論と実証のための実験結果との乖離続き。
失敗から次へと向かう方向性を見つめ、
それを検証すべくまた実験を重ねる。
さまざまな試行錯誤を重ね、結果をつなぎ合わせる。
そして継ぎ目に整合性があるように、
苦心して理論を構築してゆく。
そして・・・、と続いてゆく。
■ 子どもとのやりとりも同様で、
セッションの背景にはいろいろな理論があるが、
一つの体系のみを金科玉条にしていると、
それがうまく行かない場合、
次の手が出てこないかも知れない。
深くても狭い視野になっているかも知れない。
しかし“つぎはぎ”ならば、
次なる方策を求めることが出来る。
■ 「乳幼児精神発達診断法」で有名な、
津守真先生の授業を受けていた時に、
“つぎはぎ”のエピソードをお伝えしたところ、
深く感心されていたことも思い出した。
もちろん、子どもの姿と重ね合わせてのものだろう。