ずいぶん以前の、Y男くんとの事・・・。
■ 重度の知的障がいで、
身体にもハンディがあり、
トイレ・着替え等、
身の回りの事は全介助のY男くん。
「アーアー、ガァーガァー」などの声は出せるが、言葉は無い。
■ このY男くんの、ある日のセッションでの事。
一連の流れの中で<大きな古時計>を演奏した。
私は、彼の目の前で鍵盤ハーモニカを、
アシスタントは、ピアノでの合わせである。
すると、少しするうちに、
彼は上体をすっと伸ばして心持ち居住まいを正し、
「アァッ!」と声を出し、手を打った。
この時期、この曲が彼の中で
なじみの曲になっていたのだろうか。
私は、彼が確かにこの曲を聴いてくれているという実感を持った。
この聴くという行為は、
受け身ではなく、能動的なものであろう。
■ 障がい児に対して音楽活動を行っていると、
身体活動としては受け身であっても、
精神活動としては
確かに能動的な活動をしていると感じられることが多い。
体での表現がしにくい子ども達であるからこそ、
そこでの「聴く」という行為が、
積極的な活動(受け身ではなく)であるのだろうと・・・感じられる。
■ 「聴いて」くれている時は、
一瞬(療育者ではなく)演奏者になったような気がする。