■ 4/7夜、セッションを終えてから、
地元の画廊、ザ・ブルーボックスでの、企画展に出かけた。
この日はオープニング・パーティで、人が集まっている。
二つ話題がある。
♪ 一つは、出品されている作家さんらとのやりとり。
♪ もう一つは、障がい児の描画表現を引き出すための企画。
私が以前から温めているもので、一緒にやろうという方が見つかった。
これは話が続いて行くものなので、それに伴って報告したいと思う。
ここでは、一つ目の事を書く。
■ オープニング・パーティーで・・・、
作家さん(男の方:シュールな画風)がキーボードを、
女の方がドラムで、即興演奏をした。
キーボードもドラムも、どちらもシンセサイザーで、
演奏中にスイッチやつまみを操作して、
音色や効果(ディレイ、トレモロ等)の変化をさせている。
演奏は、40分以上も切れ目なく続いた。
以前にも書いたが、このような演奏の中では、
演奏者同士で言葉によらない会話がいろいろとされている。
連綿と音が続いているようであるが、
どこかで相手に、「この先どうしようか?」と尋ねたり、
「うん、この調子で続けようか」とか、
「ちょっとそちらで引っ張って行ってくれない?」
などとやっているように、見えてくる。
息の仕方も大事で、
“息の合った演奏”というように、
演奏者同士の息づかいもそろってくるものだ。
オーケストラでバイオリン群が、
“上げ弓” “下げ弓”の動きを揃えるのも、息づかいの一つであろう。
■ キーボードは、いくつかのモードを移りゆく形で、
いろいろな効果を変化させながら演奏し、
ドラムは、ロックやラテン、スゥイング等々のリズム形を、
時折どこかに感じさせつつそれらを渡り歩き、
自由にのって叩いていた、
私も、どこかでこの中に入りたいと思った。
周りを見渡したが、適当なもの(音源)がない。
テーブルをタイコにしてみても、
この二人の音の中にうずもれてしまうであろうし・・・。
「そうだ!」、
音源はすぐそばにあった。
「声」である。
キーボードの出している音と、
ドラムのリズムの中に、声(歌?)の即興で飛び入りした。
即興なので音がどんどん移って行くが、
その動きを感じ取りつつ、
声を合わせて行く。
そこに即興の動き(ダンス)も入れたかったが、
他のギャラリーを驚かせてもいけないので、
止めておいた。
■ 後で、キーボード奏者(シュールな画風の作家さん)とお話をした。
私の声が入ったのは「よかった」「嬉しかった」との由。
また「よく(こころと体が)開かれていて、いい位置にいるという感じがした。」との感想をいただいた。
それは、私自身では思いもよらない部分であった。
自分の知っている自分と、
他人から見た自分とでは、
また別のものがあるというのは、
心理学の教科書に出てくる“ジョハリの窓”でなじみのものだが、
「ああ、こういうことかと実感した。」
表現をすることで、他者と自分とが結び付けられる。
日々のセッションでも、大事にしている要素である。
■ 自分の知らない自分を発見してもらったことで、
岐路の足取りが軽く、なにかウキウキした感じになっていた。