■ 先日のブログに、
暮れに生けた正月飾りの葉牡丹が、
花器の中で、ゆっくりゆっくり育っている話を書いた。
・・・これは、その続編。
■ 茎がスッと伸びてきているのが分かる。
上から覗き込むと、
小さな蕾が寄り集まっている。
■ 小さな小さな変化が、
確かな成長につながっている。
・・・子どもの成長も同様である。
その時々の小さな変化に気づく目を、
ずっと持ち続けていたい。■ 先日のブログに、
暮れに生けた正月飾りの葉牡丹が、
花器の中で、ゆっくりゆっくり育っている話を書いた。
・・・これは、その続編。
■ 茎がスッと伸びてきているのが分かる。
上から覗き込むと、
小さな蕾が寄り集まっている。
■ 小さな小さな変化が、
確かな成長につながっている。
・・・子どもの成長も同様である。
その時々の小さな変化に気づく目を、
ずっと持ち続けていたい。(昨日より続く)
例2:
■ 小4の男の子(知的障害)との、
ボタン式のベルを使った活動。
ベルを鳴らしながら、
ニコニコ、ニコニコ、
そしてまた、ニコニコしている。
この子の中に、「出来ている!」という嬉しさが、
湧き出ているように感じられる。
このベルを鳴らすというシンプルな活動も、
・取り上げる曲とそのアレンジ、
・ベルの並べ方、
・鳴らす間合いの変化、
・片手で鳴らす、
・両手で二つのベルを鳴らすなどと、
いくらでもバリエーションが考えられ、
いろいろな目的に対応した活動にして行くことが出来る。
(MGW 集中講座では、これらを具体的に取り上げたい ▲参照:ココをクリック)
■ これらの活動は、
クライアントの状態や、
興味関心に応じて設定し展開して行くものであり、
やや難しい場面も、
目的によっては意図的に設定して行く。
しかし、その設定が不適切であると、
笑顔どころか、
パニックなどを呼び込んでしまうし、
やさしすぎると、
むしろ活動に入って来ない場合もある。
適応水準を見極め、
その前後の活動も頭において置かなければならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
セラピストは、クライアントによって育てられている。
笑顔は、セラピストを応援してくれる。
■ 昨日は、個別セッションが6本。
それらの活動の中で、お子さんから、
ほんのりとした笑顔や、満面の笑顔をもらった。
笑顔はやりとりの中の、
ほんのちょっとしたところから出てくる。
それぞれに意味がある。
例1:
■ 高等部1年生の男の子(自閉症)との、
キーボードを使った活動。
私とこの子とは、キーボードを挟んで、
向かい合って座っている。
(体形の取り方も、セッションを左右する大きな要素だ。
相手によっていろいろと考慮せねばならない。)
活動の中で、ある曲を弾いてもらった。
楽譜には色と数字での工夫を施し、
何をするのかが、理解しやすいようにしてある。
それでも難しい所もあったが、
弾き終わったとき、私の顔を見上げて、小さくニコリとした。
自分の達成感をこのまなざしで、
身近な人と共有しているのだろう。
(“共感のまなざし”)
さまざまな工夫は、
この達成感が自然に出てくるために配慮したものだ。
■ さて、アコーディオン漫談の、
“近藤志げる”という人だが、
昭和7年生まれの、80歳・・・。
この人の芸は、ラジオの寄席番組(NHK)で、何度か耳にしている。
高座は、トークとアコーディオンの弾き語りでおりなされて行く。
使われる曲は、
「赤い靴」「しゃぼんだま」「リンゴの唄」等々の童謡・歌謡曲、
いわゆる懐メロである。
時代背景が洒脱に語られ、
アコーディオンと共に歌が流れる。
■ 聴衆は年配の方が多い気配で、
昔を思い出しつつ聞いているのだろうか。
「そうだった、そうだった」と、
心の中で相槌を打っているのかも知れない。
知らず知らずのうちに、
会場が歌声で満ちている。
この話と歌との「間合い」は、
音楽療法のセッションに通じるものと、
ラジオで聴くたびに思っていた。
それがこの日(3/17)生で見ることが出来た。
アコーディオンの演奏は、
音数をあまり多くせず、
歌と話の継ぎ目には、
左手のボタンのみを軽く使い、
少しの音で間をつないでいる。
空いた、(鍵盤を使う)右手で仕草をしている。
曲の出だしをちょっと先読みするだけで、
会場から歌声が漏れてくる。
時には伴奏だけで、
歌は会場に任せる。
聴衆が歌詞につまりそうな時には、
先読みをサラリと入れたり、
フレーズの終わりの音を少し引っ張るようにして、
会場の反応を待つ。
すると聴衆がそこへ歌詞をのせてくる。
これらは、音楽療法の技法に照らすと、
・先読み・モデリング・未解決技法等と重なる。
■ 人と人との間での仕事人は、
間合いを取るのが上手である。
この間合いを、“盗み稽古”させてもらったひと時である。
■ 地元での、落語会に出かけた。
演者は、柳亭市馬・柳亭市也・近藤志げるのお三人。
柳亭市馬は、人間国宝であった先代・柳家子さんのお弟子さんだ。
演目は、
柳亭市馬が「禁酒番屋」と「笠碁」、
柳亭市也が「牛ほめ」であった。
■ 寄席での演目は、
コンサートのように予め決まっているものではなく、
高座に座ったところで、
その日の客席の様子を見つつ決められて行く。
昨日は、寄席ではなくホール落語であるが、
同様に進められていたようで、
チラシにもプログラムにも演目は書かれておらず、
会が終了してから、
出口に「今日の演目」なるチラシが掲げられていた。
■ その場での相手方の様子・状態をつかみ、
「今、ここで」を大切にするのは、
音楽療法のセッションにも通じている。
■ さて、近藤志げるという人は、
アコーディオン漫談の人である。
この人については、
高齢者への音楽療法とからめて、
稿を改めてお伝えしたい。