三河地域 、愛知県岡崎市欠町で音楽療法を通し、障がいを持つ方の成長・発達・豊かな心づくりのお手伝いをしております。

三河 岡崎市の音楽療法(ミュージックセラピー)はMGW研究所
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修理

カテゴリ : ・ 随想

■  エレキベースを使おうと思い、

 アンプにつないだが、音が出ない。

 先日のセッション中の事だ。

 

 過去の経験から、

 ベース内部に取り付けられている、

 電気部品間の断線によるものではないかとあたりをつけた。

 今までに何回もこんなことがあり、

 その度にベースの内部を開けては、

 自分で修理をしてきたからだ。

 

 ・・・修理の時間が取れず、数日がたった。

 

■  昨日(4/21)のセッションで、

 クライアント持参のエレキギターを、

 アンプにつないだが音が出ない。

 (ギターをやりたくて来ているクライアントもいる)

 

 問題はギターではないだろうとあたりをつけ、

 シールドを変えてアンプにつないでみた。音が出た。

 

 そのシールドでベースとアンプをつないだところ音が出た。

 そこで、ベースの音が出ないのは、

 その時つないだ、シールドにあると分かった。

 

■  音の出ない時はその原因を、

 ベースなどの楽器自体、アンプ、シールドなどと順に考えてみるのだが、

 今回はベースそのものだと思い込んでしまっていた。

 思い込むと見えなくなる。

 

 クライアントさんのことも、

 そのような思い込みで、

 見えにくくならないように気を付けたいものだ。

 

■  修理の経過
 

①  シールド


② 
断線の部分



③ 
被膜をはがす



④ 
ハンダ付けをする



⑤ 
無事、終了・・・音が出た

 


■ 因みに、修理をしようと道具を出したが、

 ハンダが無くなっていた。

 いそいでホームセンターで買ってきた。

 ハンダゴテは、高校生の時から使っている年代物だ。

声と声

カテゴリ : ♪ 音楽療法関連

書き溜めておいた原稿の中から、   

 なつかしいセッション風景が出てきた。

  ずいぶん以前のものだが、

   ・・・今回はそれを整理して書く。

 

■「ウゥッ!ウゥッ!」というような声をよく出しているので、

 ちょっと怖い(?)感じに見えるAさん。

 重度の自閉症の男の方で、言葉でのやりとりはないが、

 “言葉がない”ではなく“声を出せる”と捉えれば、

 やれることが出てくる。

 

■  Aさんは、居住している施設から、

 職員さんに車で送られて、

 MGW研究所に通って来ていた。

 

 いつも、いったんはセッションルームに入るものの、

 すぐに駐車場に行き、送られてきた車の中に入り込んでしまう。

 この人の決めたルールである。

 (通常は、こだわりと呼ばれている)

 私はその状況に応じ、車の外から働き掛けることにした。

 

 屋外である(雨の日も雪の日もあり、大変だった。)。

 そのシチュエーションでは、

 もちろんピアノなどは使えない。

 ハンドドラム・タンバリン・リコーダー・鍵盤ハーモニカなど、

 ハンディな道具で対応する。

 

 それにもう一つ・・・「声」。

 声は、どこでもいつでも使え、ポータブルである。

 私もAさんも持っている。

 

■  ・・・いつものように、

 2Fのセッションルームで、

 ハンドドラムをチョンと叩くと、

 車の中に入り込んでしまった。

 私も共に移動し、いつものように車外からの働きかけとする。

 

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 ??・・・Aさんの方から何か声を出してくる。

 何と <あいさつポン(オリジナル曲)> だ!

 「アッ、アッ、アツ」といった歌い方(発声)ではあるが、

 そう聞こえる。

 私は、急いでそれに合わせて歌いかける。

 共に歌ったような感じになった。

 

 その後、何か怒鳴るような声がしてきた。

 よく聞くとメロディが感じ取られる。

 <大きな古時計>(のような感じ)である。

 毎回のセッションで、鍵盤ハーモニカで聞かせてあげている曲だ。

 鍵盤ハーモニカでそれを演奏する。

 Aさんは、はっきりと歌っている(と感じた)。

 

 何回も、Aさんの方から先に声を出してくる。

 Aさんからの“やりとり”だ。

 そのたびに鍵盤ハーモニカで“伴奏”をする。

 他の曲にしてみると、それも歌ってくれる。

 いくつかの歌を知っているのだ。

 

 しかし、それが引き出されるのは状況によるものであろう。

 私の働きかけの中でそれが出てきたことを、嬉しく感じた。

 「やった!」と思った。

 

 鍵盤ハーモニカを止めて、私も歌いかけにしてみる。

 すると、それがモデルになったのか、

 今度はよりはっきりした形で歌っている。

 

■  鍵盤ハーモニカも歌いかけも、

 ただ曲をなぞるのではない。

 刻々と変わるAさんの声・状態に、

 エコー・ダイアログ・モデリング・同質技法etc.を、

 フル動員して即応してゆく真剣勝負だ。

 

 セッションでの伴奏は、

 Cl.の表出を、寄り添い、支え、リードして、

 表現へと変えてゆくものである。

表現 / 描画・造形

カテゴリ : ♪ 音楽療法関連

■ 4/8のブログに、

 『・・・私が以前から温めていた、

 障がい児の描画表現を引き出すための企画を、

 一緒にやろうという方が見つかった・・・』、

 ということを書いたが、これはその続報である。

 

■  特別支援学校で、

 絵の先生(非常勤)をしているその方(20代・女性)に、

 MGW研究所でのセッションを見学(4/18)してもらった。

 

 「一人ひとりの発達などの状態にそった、

 丁寧で工夫された働きかけがよくされており、

 学校という場ではなかなかそこまで手が届かない。」

 といったような意味の感想をいただいた。

 

■  セッションの中で書かれた、

 子ども達の絵がたくさん詰まったスケッチブックをお見せした。

 一つひとつの絵の個性に、興味と関心を持たれた様子で、

 「いろいろなことが出来そう」とのこと。

 

 また少し先へ進めそうな気になった。

“つぎはぎ”の理論

カテゴリ : ・ 随想

■  大学での物理学の授業で、

 「つぎはぎの理論」という見方を教わった。

 もちろん、ずっとずっと以前のことである。

 

 そのことを教えてくれた先生によると・・・、

 

 「・一般の人は物理学の理論というと、
   理路整然と一貫したものであると思っているようだが、
 実際にはいろいろな考え方を取り入れて“つぎはぎ”したものであり、
   それだからいいのだ。

 ・理路整然首尾一貫したものであれば、一ヶ所が悪ければ、
   それ全体がだめと言うことになってしまう。
 しかし、“つぎはぎ”ということであれば、
   どこかに具合の悪いところがあればそこを何とかすればいい。」

 
  といったことである。

 

■  “つぎはぎ”というのはレトリックであり、

 自然の秩序と向き合う時の姿勢を、

 この言葉で示したのかも知れない。

 

 科学史の本を読むと、

 理論の構築は失敗の連続であったことが分かる。


 考え出した理論と実証のための実験結果との乖離続き。

 失敗から次へと向かう方向性を見つめ、

 それを検証すべくまた実験を重ねる。

 
   さまざまな試行錯誤を重ね、結果をつなぎ合わせる。

 そして継ぎ目に整合性があるように、

 苦心して理論を構築してゆく。

 そして・・・、と続いてゆく。

 

■  子どもとのやりとりも同様で、

 セッションの背景にはいろいろな理論があるが、

 一つの体系のみを金科玉条にしていると、

 それがうまく行かない場合、

 次の手が出てこないかも知れない。

 深くても狭い視野になっているかも知れない。

 

 しかし“つぎはぎ”ならば、

 次なる方策を求めることが出来る。

 

■  「乳幼児精神発達診断法」で有名な、

 津守真先生の授業を受けていた時に、

 “つぎはぎ”のエピソードをお伝えしたところ、

 深く感心されていたことも思い出した。

 もちろん、子どもの姿と重ね合わせてのものだろう。

会議・寄り合い

カテゴリ : ・ 随想

■    先日、ある会合に出席した。

 組織における、ある担当だけの集まりで、

 全体会ではなく委員会にあたる。

 

 ビジネス書には、“会議”は90分以内で、

 ということがよく書いてあるが、

 この時は、予定された議題から、話が横に広がり、

 お開きになるまでに3時間もかかった。

 

■ 会議としては時間がかかりすぎだが、

 この集まりは“会議”と言うよりも、

 “寄り合い”という言葉の方が合っている。

 メンバーが、ある程度の時間共に顔を合わせていることで、

 物事がうまく動くようになるということもあるのだろう。

 

 この集まりはこれでいいのかも知れないなぁ~と、

 時計をチラチラと見ながら思った。

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